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ありがとう。

つい先日。

ちょいとバタバタいたしておりました。


というのも。


ブログに書こうかどうかも、ちょっと迷ったんですが。

記しておく意味合いもこめて、書いてみようと思います。




先日、レッスンの仕事中に久しぶりの友人から電話があった。

電話の主は、僕が19歳くらいから23歳くらいまで活動していた
「カブトガニ」
というふざけたバンド名のバンドのメンバー。

ベースのちんさんからの電話だった。


仕事中だったので、
ひとまず電話はスルーして、
仕事が終わってから確認すると
留守電が入っていた。


その留守電の内容を聞いて、
ちょっと一瞬時間が止まった。


「広松が亡くなったらしい。
詳しいことはわからんが、また連絡する。」


とのこと。


広松、というのは、
その「カブトガニ」のボーカリスト。


つい昨年にも、東京で久しぶりの酒を酌み交わしたばかりだ。


正直事態が飲み込めずに、
電話をかけ直した。


つながらない。


去年に広松と一緒に酒を飲んだ大学時代の友人にかけた。

彼は僕と同じく、「何のことだ??」
という反応。


カブトガニのギターにかけた。

つながらない。


そうこうしている間に、
最初に電話をくれた、ベースのちんさんから電話がかかってきた。



話を聞くと、
その前日の朝に息を引き取ったらしい。

広松の奥さんからそういった内容の連絡を受けた、と。


彼自身、まだ事態が飲み込めていない感じではあったが、
ひとまず通夜と告別式の、事務的な連絡を取り交わした。

そしてこの事実を友人たちにどうやって伝えるか、
そういった連絡をとった。




その晩、僕は大学時代の友人たちに
深夜、ということもあって、メールでその事実を伝えた。



まだ実感はなかった。




今度はギターの藤田から、電話があった。

告別式のときに、「カブトガニ」のCDをかけたい、
と奥さんが言っているらしい。

その中で、かけたい曲があるのだが、手元に見当たらないので、
俺がそのCDを持っていないか、
という連絡だった。


カブトガニの音源など、久しく聞いていない。

CD棚をひっくり返して探した。


見つかった。

その曲が入っているのは、
当時カブトガニが3枚目のデモ音源として作った、
4曲入りのCDだった。



久しぶりに聞いてみた。


まず、音の若さが耳に入ってくる。
若さゆえの音作りのストレート感があった。

今の僕には出てこないであろう、ドラムのフレーズもあった。

当時、はやっていたいわゆる「ミクスチャー」のサウンドだ。


ギターのリフと、
ファンクロック系のリズムと、
それに合わせたラップ調の歌詞。

その中で、カブトガニが売りとしていた
メロディックなメロディ。


奥さんが言っている「その曲」は、
カブトガニには珍しいちょっとバラード風の楽曲だった。


思えば、あの曲を作ったのは
ちょうど広松が結婚をするくらいの頃だ。


歌詞を聴いてみた。


当時はあまり気付いていなかったが、
実はすごくいい歌詞だった。


涙が止まらなくなった。






その次の日、僕は仕事の休みをもらって、
東京へとお通夜に参列しに行った。


このような場に来るのは、
去年の頭に祖母が亡くなって以来のことだ。

当然、会場自体は違うが、
相も変わらず、
寂しげな雰囲気が漂う場所だった。


その日は4組の式が行われていた。


その一番奥。

「広松家」
の看板が見えた。


途中、その他の家の遺影を覗くと、
みなさん年配の方ばかりだ。

長い人生を送ってきた分、
沢山の方々と触れ合ってきたのだろう。

別れを惜しむ人たちであふれていた。


広松の遺影の場所に来ると
一際若い、溌剌とした写真が飾ってあった。


享年30歳。

同い年だ。



棺桶に入った広松の顔は、
安らかに眠っていた。

今にも起き出しそうな感じだ。

お前、何やってんだよ。
また飲もうぜ。

そう声をかけたかったが、
言葉が出てこなかった。




お通夜が終わり、
会場の2階で
準備していただいていた食事をいただいた後で、

その日僕は一旦茨城の実家に帰る予定をしていた。



一足先に帰らせてもらおうと、
周りを見渡したが、広松のご両親の姿が見えない。


奥さんに帰る旨を伝えると、
今日のうちにもう一度、広松の顔を見てやってほしいと言われた。


僕もそのつもりだったので、
1階の広松のところへ向かった。

そこには、
お通夜の間にはしっかりとしていたご両親の、
やり場のない寂しさを浮かべた姿があった。


広松の実家には、
何度か遊びに行かせてもらったことがある。

ご両親も僕のことを覚えていてくれていて、

最後に広松と話をさせてほしいと言うと、
喜んでそうさせてくれた。



思えば、僕が初めてしっかりとした
オリジナルの曲をやるバンドを組んだのは、
カブトガニが最初だ。

始めはギターボーカルとベースとドラムの
スリーピースで活動を始めたが、
一年浪人をして大学に入ってきた広松が
ボーカルとして加入して、
そこから4人のバンドになった。


始めは全然歌もうまくなかったが
練習してそれなりに歌えるようになって。

企画イベントをやったり。
いろんなイベントに呼んでもらったり。

そういえば
初めてテレビに出演したのも
カブトガニで、だった。

京都の地元TV局の番組ではあったが、
スタジオライブを始めて行って、
本当に楽しく貴重な体験だった。

ちょうど広松が結婚するくらいの頃、
某メジャーレーベルから声をかけてもらったりもした。

縁がなく、デビューすることはなかったが、
あれもいい経験だった。


それぞれが就職するくらいの時期になった頃、
法学部だった広松は
弁護士になることを決めた。

そこから猛勉強して、
数年前に見事司法試験に合格。

晴れて弁護士の道をスタートさせた。


東京の弁護士事務所に就職も決まり、
順調に生活が回り始めた矢先、のことだ。



カブトガニのメンバーの中で、
僕個人にとっては
バンド解散後も一番連絡を取り合って
たまには一緒に酒を酌み交わしていた奴だ。


昨年に一緒に飲んだときには
弁護士の広松と
建築士の友人と
三人で、それぞれの仕事の話なんかを語り合った。

「けーじ、相変わらず売れそうにないなぁ」
と笑いながら憎まれ口を叩いていた。

それでも、
ドラマーとしてやっていくのは
個人事業主みたいなもんなんだから、
法律関係でトラブったときには俺に連絡してこいよ、

ビール片手に話していた。


あぁ、こいつ、俺のことめっちゃ理解してくれてるな。

そう思った。


こいつ、やっぱり
俺の友達だな、と。




また飲もうぜ。


そう言った。

お前の歌詞、今聞くとめっちゃいいぞ。
こないだのとき、楽しかったな。
また、ビール飲みながらバカな話しようぜ。


ようやく、言えた。




翌日の告別式。
あまりにもあっさりと式は終わっていった。


快晴の空。

なんだかやるせない気持ちは拭えなかったが、
どうすることもできない。



今度、またあのときの三人で、飲もう。
ビールを持って、墓の前で、
バカな話をしながら乾杯しよう。

そう思った。



30年なんて、あっという間だ。

僕の人生は、この後
どれだけ残されているかわからない。

だからもうもがいて必死に生きていくしかないんだよな。


それを教えてくれたこと。
これまでの人生に色んなことを共有できたこと。
これからもずっとどこかで繋がっていけること。


それに感謝するよ。


広松、ありがとう。

いつになるかわからんけど、また会ったときには乾杯しよう。
それまで、ゆっくり休んでいてくれ。


ありがとう。


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  • 2017.08.02 Wednesday
  • -
  • 00:36
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コメント
コメントするか迷いましたが、、遠い空の下に、カブトガニに思いを馳せている人間がいることを伝えたくて

今カブトガニ聞いています。

胸が痛いです。
  • ダークのちさと
  • 2012/06/17 7:28 PM
コメント、ありがとうございます。
気付くのが遅くなってすみません。
嬉しいです。
あいつも喜んでると思います。
  • けーじ
  • 2012/09/23 12:21 AM
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